法システムは持続可能なのか?それとも法システムは、破綻しうる?
法は、法の定めの下でのみ修正される?
それ以外の可能性として、法システムに対して、エントロピー的なものがあったとして、それが閾値を超えると?

法システムにおける実装が、既にスパゲッティコードであるのなら、プログラマとしては、それは0から作り直すべきだと思う(その動機が上の3行)。
ただ厄介なのが、実装レベルはスパゲッティだが、仕様記述、過去の経緯やドキュメントはしっかりしている(本当かどうかは別にして)ことか。
実装だけが難しいという状況だと、事態の深刻さは誰にも伝わらないのかもしれない。実務家にとって、これは利権になるから。
(スパゲッティなコードを理解しているというだけの理由で、保守を任されているプログラマはまだまだ健在だろう)


もうちょっと言うと、日本て、行政と立法がごっちゃになって、司法が機能してない状態なんじゃないか、と思った。
思ったけど、日本の司法の問題点についての情報が、(さらっと探したところ)全然見つからない。
つまり仮説が間違ってるか、着眼がいいかどっちかだと思う。

アマゾンのマーケットプレイス

要らない本を、必要な人に届けることが出来るんじゃないか。というと聞こえはいいけど、古本屋で売るよりマージン抜かれないのはいいんじゃないかと思う。あと、微妙にいらない本とか登録しておくと、本棚と気持ちにやさしい。ここで価値が無い本こそ、古本屋に売ればよい。とか言いつつ、アカウント作成手前から進めていないわけですが・・・。

自然と人工物

文系と理系っていうくくりをやめて、自然学と人工物学というくくりに改めたらいいんじゃないか、みたいなことを最近考えてた。数学と情報科学が理系だとされていることが本当に残念だと感じているから。ここからは大方推測で物を書くが、数学は元々、商売人のための代数学と、暇をもてあました神々の遊びとしての幾何学、の別々の学問だったんだろう。で、ニュートン辺りで、自然を抽象する方法論としての地位を確立して、ライプニッツデカルトあたりから、思考を表現する方法論としての地位が確立したんじゃなかろうか(奇しくも同じくらいの年代か)。ここまで書いて思ったけど、数学を理系の学問として扱っているのは、日本だけなんじゃないだろうか?全然調べてないから何とも言えないけど。だとしたらこの議論自体、あんまり意味がなくなるなあ・・・。
と言いつつ、詳しい考察は後日にしたい。教養学部出身の私としては、この手の話はなんだかんだ言って好きなのである。